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バフェットを知る

バフェットのような結果の継続を追求しています。

失敗を恐れないということ

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(漫画、リアルより)

 

さて先日は東証終値97円安となり、実に17日振りの陰線を付けました。

今までが異常だったように思いますが、ただこの歴史的な出来事を自分の生きている時に経験できてよかったと思います。というのも、経験とは財産であると思っているためです。

 

ここで「経験」という言葉について、題名のようなテーマに対して解を見出したいと思います。なので、以下のような題目になっております。

 

 

失敗は財産である

 

ー失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだー

アルバート・アインシュタイン

 

 

 

 

さて、内容に触れる前に少し余談を挟みたいと思います。

 

基本的に何か起きたとき、それ自体に善悪はなく、「記録」として捉えられます。

この時、「記録」という情報が実際に活用され、発展が目覚ましいのが「機械学習」です。例を挙げれば、ロボによる囲碁の打ち手とかですかね。

しかし、経験というのは記録ではなく「記憶」に分類されます。記憶に分類されると、人はどうにも感情を挟まないではいられません。つまり、「失敗とは記憶というデータベースから導き出された感情による解釈の一つ」でしかないのです。

 

さて、少し前置きが長くなりましたが、この項目で言いたいのは私は「失敗は財産」と信じています

というのも、失敗はキャッシュフロー(以下、CF)を最大化、正常化する両方に役立つと感じているためです。

 

どういうことなのか。書いていきますね。

 

まずは、定義を書いておきました。

キャッシュ・フロー(cash flow、現金流量)とは、現金の流れを意味し、主に、企業活動や財務活動によって実際に得られた収入から、外部への支出を差し引いて手元に残る資金の流れのことをいう(wikipedia

簡単に言うと、「色々やって稼いで、お金が手元に残るという一連の流れ」を意味します。このことからCFが正常(定義通り)である人は、キャッシュフローを最大化することでお金持ちになれます。ここで異常がある人は「手元にお金が残らない人」「むしろお金が足りてない人」を指すので、CFの正常化をまず図るべき、となります。

 

では何故、失敗は財産なのでしょうか?

それは、CFの根源は、現金であり、現金を生み出すのは、信用であり、信用は経験が基となっている。

このように考えているためです。

 

「現金は信用である」

これは読者のアナタはご存知でしょうか?

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まぁこういうことです。差額(9972円)が信用によるものと思ってください。

 

さて、信用はどうして生まれるのでしょう?

 

信用の対義語は「不信」です。

「信じるか、信じないか?」という2択を生むある事実が発生し、この後に信用と不信という選択が行われます。つまり、信用はある事実に対する選択の結果です。

人はこれを実績(過去)を基にするときもあれば、期待(将来)を基に選択します。

 

では、話しを失敗という財産に戻します。

期待するときも、やはり人は実績(過去)を基にすると思います。

冒頭で書きましたが、失敗とは記憶(過去)というデータベースから導き出された感情による解釈の一つですので、失敗は信用を作りうるということが導き出せますね。

ここで、失敗が信用を作らない可能性にも言及しますと、上で述べたように、「過去を重視するか、将来を重視するか」という選択の結果(評価)によるので、作らない可能性もあります。

 

これは相手(評価元)によりますし、もしかしたら失敗が大きすぎて信用してもらえないかもしれません。

しかし、失敗はあくまで記録ではなく、記憶であるので、解釈の一つあり、永久不滅の真理ではありません。つまり、失敗という記憶を塗り替えるために、出来事自体を更新すれば良い話なのです。

 

なんとなくわかってきたでしょうか?

つまり、アナタの失敗を「評価元が、過去<将来」と選択するまで、挑戦するということです。

 

20代の投資先の最適解

ああ、20代の最適資産運用先の解は何度も書きますが、米国ETF500です。

ここでは、時間と言うリソースでの投資先という意味です。

 

さて、上で言ったことをまとめます。「失敗は財産である」とするのは、私の信念です。

というのも、失敗とは記録ではなく、記憶であるため、ある事実に対しての評価です。

ある事実を評価するときに「失敗か成功か」とするのは、アナタの選択の結果です。

失敗したというのは選択したということですので、次の事例が起きたとき、判断の材料になります。ここで、一つの物事に挑戦している方であれば、違った方法を選択し、精巧へと導くでしょう。あるいは、失敗であきらめてしまった人も、次の挑戦では失敗がアナタを勇気づけるでしょう。

 

つまり、経験することを重ねていくことこそ、若い人ほどやるべきことだと信じています。

 

関連記事です。

 

 

経験に学ぶとは、過去に学ぶということです。この際、具体的に投資の世界で何を学べば良いのか?どのように学んでいけばよいのか?そのよう方針を提案として挙げている記事です。 

 


投資の世界では最適解を追い求め、様々な主義主張が起きています。

このとき、私達がどの分野に身を置き、挑戦していくか、とうポジショニングの糧となればと思い、書いた記事です。

 

あでゅー。