「お金の木」と「幸せの木」
お久しぶりになります( *´艸`)
まず、久々にはてなブログを開いたのですが、訪問者数がむしろ増えていてビックリしました( ;∀;)
質の高い記事を書けたということでしょうか、それとも何か興味を引くようなワードが含まれていたのでしょうか。いずれにせよ、見てくれている読者の方があるからこそと思います、本当にありがとうございます。
少しプライベートでばたばたとしておりました、今回も書いていきたいと思います!
願わくば読者の方にとって質が良いと思っていただける内容になるよう心掛けます!
では、今回の記事は以下になります( `ー´)ノ
・「お金の木」について
・「幸せの木」について
では本日も宜しくお願い致します。
・「お金の木」について
この題目でカギとなるのは、お金の木の先に幸せはないということです。
まず前回の記事では、誰にでもお金持ちになれるということを証明してみました。
※もちろん、過去の実績が将来の結果を保証するとは限りませんが。
この記事を書いてから読者の方が増えてきたと感じているのですが(ありがとうございます)、やはり人は億万長者という言葉にはロマンを感じるのでしょうか。
今回の記事では前回の記事よりも抽象度を上げて書いていきたいと思います。
今回の題目で伝えたい事は、「お金の木=幸せの木」ではない、ということです。
繰り返しますが、お金持ちになることは誰でも出来るはずです。(前回の記事を見てください)
しかし残念なことに、お金持ちになることは「実現不可能な夢である」と思われがちです。そしてこのネガティブな思想は今後広がっていくでしょう。何故なら、高所得であった給与所得者も給与水準は横ばい、あるいは低下していくのですから。
例えば、次のグラフは日本人の平均年収のグラフです。
(引用サイトはhttp://nensyu-labo.com/heikin_suii.htmです)
言わば、お金の木は成長を止め、縮んできています。
この原因は「投資をしてこなかったツケ」としか言いようがないよう思えます。それがトマ・ピケティが示したr>gから言える結論です。
結果として以下のようなスローガンが生まれます。
「貯蓄から投資へ」
そして今、読者の皆様は何に投資をすれば良いかを知っています。これを知っているということは、木を育てる水や養分を持っているということであり、それを教養や知恵なんて言ってみようと思います。
・幸せの木について
そして将来その投資が実を結ぶのであれば、今のアナタは「お金の種を持っている」ことになります。ふざけてるような言い回しかもしれませんが、貴方はすでにお金持ちになったも同然なのです。
で、あるならば今、あなたは幸せでしょうか?
この問いにイエスと答えられる方は次回の記事でまたお会いしましょう。
迷ってしまった方は、以下のロジックを頭に叩き込んでください。
「X→お金→幸せ」は偽。
「X→お金→Y→幸せ」は真。
納得できたでしょうか?
納得できた方は次回の記事で。
納得できない方に向けて解説をしたいと思います。
「X」とはつまり、お金を得る手段のことです。この「X」に対して自分が満足しているほど、人はお金を稼ぐことが出来ますし、「X」を行うこと自体に幸せを感じます。
「Y」とは、幸せを感じる手段です。多くの人は「ううむ。Xを最大化させるにはどうしたらいいだろうか」と考えることばかりに時間を投資します。しかし、これは上の等式であるように偽ですので、幸せにはなれません。
簡単に言えば、どこにでもある紙切れに本当に価値を感じる人なんていません。
紙幣が価値を持つのは交換できるからです。なので、紙幣の奥に潜んでいる自分の欲を叶えられるかもしれない、という「自分の欲望や期待が通貨の価値を押し上げる」ことに気づくべきです。これに気づかない人は、お金が持つ力に飲み込まれ、お金に欲が支配され、お金しか見ない人間になるのです。
別にYというものはお金が無くても成立しますので、「Y→幸せ」も真です。
もしお金を使わなければ得られないものであるなら、それは誰かにとっての「X」です。「X=Y」である人は、お金に価値を感じませんが、必然的にお金持ちになります。
(X=Y)→幸せ
Xは同時にお金を生み出すもの。
Yは幸せを感じるためのものであり、お金が無くても成立するもの。
王道のお金持ちの姿とは、仕事を愛し、勤勉に務め、倹約であることを許容できるものです。
以上のことから、幸せなお金持ちになるには現状のXをYへと昇華させ、「この仕事は趣味である」とまで捉える力が必要となります。
そしてこれは案外単純なことかもしれません。
貴方が本当にお金持ちになりたいと思うのであれば、お金を一切忘れ、仕事に集中するだけでいいのです。
「仕事の賃金に文句を言う人」はその集中をかき乱そうとする人かもしれませんね。
そしてその人を反面教師として捉えることが出来たとき、あなたは「幸せなお金持ち」への一歩を踏み出しているのです。
しかし、この単純な結論は、主体性を求めます。「お金の木の種」は最初だけ気を付ければ実は結ぶかもしれませんが、「幸せの木の種」は誰も教えてくれず、常に探し求める必要があるためです。
アディオス。